観応の擾乱
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1350年
観応の擾乱
1350年って何があったの?
1350年は観応の擾乱がありました。
後醍醐天皇が鎌倉幕府を滅亡させた後、建武の新政を行ったんです。
建武の新政
・雑訴決断所: 土地に関する訴訟機関
・綸旨の施行: 天皇の命令が書かれた公文書
でもこの政治が、武士の社会の慣習に合ってないことが多くて、足利尊氏や他の武士がブチギレちゃったんです。
そこで足利尊氏は光明天皇をたてて、新たに政権を担うことにしました。そして後醍醐に "お前は出てけ!" って言って、後醍醐天皇を奈良に行かせてしまいました。
これが南北朝時代の初めなんです。北朝には光明天皇、南朝には後醍醐天皇。天皇が2人いる時代となりました。
最初は南朝の後醍醐天皇側の方が有利だったんですが。後々、北朝側が有利になってきました。
北朝では足利尊氏の執事 高師直と弟の足利直義の2人が揉め事を起こしました。この争いの結果、足利直義が滅亡しました。
これで北朝側も混乱してる状態なんです。混乱しても、そのままいっちゃおうよ。 "いいさゴー"。 "いいさゴー 観応の擾乱" って覚えてください。
1350年
観応の擾乱
いいさゴー
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歴検(世界史、日本史) 1級ホルダーのライター
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辺境で暮らす,歴検(世界史、日本史) 1級ホルダー
休日はたまに幼少から習っていたピアノを弾くことがある。
美味しいものを食べて,美味しいお酒を飲んで,気の置けない仲間との語らいが明日への活力になっている今日この頃。
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