日本銀行の開業,壬午軍乱
秩父事件,甲申事変
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1882・1884年
日本銀行の開業,
壬午軍乱
秩父事件,甲申事変
1882・1884年って何があったの?

1882年、日本銀行が設立。

西南戦争の結果、お金をたくさん刷って、日本がインフレ状態。日本銀行を作って、経済を安定させよう。

ところが、日本銀行でお金刷る量を制限したら、デフレになって、農民が貧乏になって、自由民権運動も激化。1884年、秩父事件が有名。貧しい秩父の農民が、困民党を組織して、蜂起をしたんですが鎮圧されてしまいました。

朝鮮でも、混乱が起こりました。高宗が王様をしてましたが、奥さんの閔妃が、権限が強かった。

それに高宗のお父さんが、反感を持つ。高宗の父は "朝鮮の伝統を意識する" ので、清が味方に、閔妃は "新しいことをしていきたい" ことから、日本が味方に付いた。この結果、閔妃の政権が勝つ(壬午軍乱)。

ところが、閔妃も政権を握ると安定したものを求める。今度は、日本から乗り換えて清を味方につける。なお、清は1884年 清仏戦争で負けてしまっている。それに対して、独立党という組織を金玉均、朴泳孝ぼくえいこう が組み "近代化しないじゃないか!?" と、日本を味方につけて、閔妃びんひ と独立どくりつ 党とう で争って、最終的に閔妃びんひ が勝利する(甲申こうしん 事変じへん )。

その結果、日本と清しん もいざこざが増えて、日清にっしん 戦争へとつながってく。1882年 壬午じんご 軍乱ぐんらん 、1884年 甲申こうしん 事変じへん 。

"いや18 ぁ歯に82 箸84 を付けよ"。

1882・1884年
日本にほん 銀行ぎんこう の開業,
壬午じんご 軍乱ぐんらん
秩父ちちぶ 事件,甲申こうしん 事変じへん
いや18 ぁ歯に82 箸84 を付けよ
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