承久の乱
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1221年
承久の乱
1221年って何があったの?

1221年は承久の乱がありました。

後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとしたんですが、失敗。

後鳥羽上皇はその後、隠岐に島流しになってしまうんです。

執権 北条泰時が活躍した。

北条の執権で覚えてほしいのは、得宗家です。北条家の嫡流の家です。

嫡流: 氏族の本家を継承する家筋・家系
北条時政は気合いで覚えてね。そのあとは義時 泰時 経時 時頼 時宗 貞時 高時。

北条家の執権就任順: 時政、義時、泰時、経時、時頼、時宗、貞時、高時
その後ですが後鳥羽上皇も隠岐に流される前、お腹空いちゃいますよね? 年号を見てください。みなさん、ダブチにしか見えなくないすか?

承久の乱は、 "2のダブチ" と覚えてください。

北条泰時が中心となり、活躍する時代がやってきます。


評定衆は、御家人が任命されて、そこで話し合う会議のようなものだと思ってください。

最初から、北条氏の意見がグイグイいったワケではない。

引付: 土地関係の訴訟の仕事に特化した評定の補助機関
評定: 行政・司法・立法すべてを行う最高機関
そして、土地裁判の争いについて行うのが引付という役所です。引付と評定衆、ややこしいので間違えないでね!

1221年
承久の乱
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