漸次立憲政体樹立の詔,樺太・千島交換条約,江華島事件
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1875年
漸次立憲政体樹立の詔
樺太・千島交換条約
江華島事件
1875年って何があったの?

1875年、漸次立憲政体樹立の詔、樺太・千島交換条約、江華島事件がありました。

漸次立憲政体樹立の詔は、天皇の命令です。

大阪会議が開かれる。大阪会議とは、今の政府と元留守政府の間で、いざこざが起こってて、政治が進まないので、政府と木戸孝允と元留守政府の板垣退助が話し合って、妥協した会議。この詔で、議会を開いて、憲法を作って、みんなで話し合って政治をしていこうという流れに変わっていくキッカケになります。

樺太・千島交換条約は、1854年、日露和親条約、ここで樺太は両国人雑居、得撫島より北はロシア領、択捉島から南は日本となっていたところを、樺太はロシア、日本は千島列島って定めた。

江華島事件は、朝鮮に "開国しろ" と、雲揚という軍艦が、挑発をしていくのですが、朝鮮が反発をして、その結果、1876年、日朝修好条規を結び、これは朝鮮にとって不平等な条約でした。

"いやぁ泣こう"

1875年
漸次立憲政体樹立の詔
樺太・千島交換条約
江華島事件
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